2011年11月21日月曜日

秋葉原に店舗を構え、来年で60周年を迎える老舗ケーブル店オヤイデ電気。その長い歴史の中で、進化し続ける秘密を探る。

オヤイデ・アーカイブス#01
オヤイデ電気といえば秋葉原。秋葉原といえば電気街というのも今は昔のお話。今や駅を降りればガンダムカフェやAKB48カフェなど、時代の移ろいを如実に反映しているのもこの街の特徴。そんな秋葉原にも歴史があり、様々な変遷を経て現在に至っているのである。

秋葉原といえば、戦後焼け野原の状態からいち早く復興を遂げたことで知られている。当時、神田須田町周辺の闇市では、電機学校の学生やラジオ・無線などの需要から、真空管やラジオ部品などの電子部品を扱う店舗が増えて行き、電機製品の多様化する流れの中、徐々に秋葉原方面へと店舗が立ち並んでいった。そんな中、モーターやコイルの材料としてワイヤー・ケーブル類の需要に応えるべく、昭和27年、オヤイデ電気(小柳出電気商会)は誕生したのである。

創業当初は前述の通り、主にモーター・トランス用のマグネットワイヤー、絶縁材料等を販売。その後、秋葉原は高度成長期と連動する形で、秋葉原ラジオ会館を始めとした、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が軒を連ね始める。オヤイデ電気もこの頃、時勢に応じて家電製品(当時、三種の神器といわれた炊飯器・冷蔵庫・洗濯機)の販売を開始、昭和46年には「株式会社小柳出電気商会」の設立に至った。

元来のケーブル類に強い業務形態も手伝い、次第に建築・産業系のケーブル・絶縁資材などの需要が高まるにつれ、昭和49年には電線を中心とした電材販売に特化した専門店となり、現在の小売形態の原型が形成される。

1970年代の秋葉原は、マイコンやジャンク品を取り扱う店舗が軒を連ね、またステレオなどの音響機器がブームとなり、レコード店・音響機器専門店・各種機器部品専門店など、電子機器の販売の細分化の一端として、オヤイデ電気はケーブル専門店としての地位を確立した。

と、ここまでは純然たる産業用ケーブル専門店としてのオヤイデ電気だったのだが、オーディオ評論家の長岡鉄男氏を始めとするオーディオ・マニアの方々が自作素材としての電線に着目。

そうした流れを敏感に察知した当時のオヤイデ電気社長、小柳出一二が昭和51年、日本初、オーディオ向けに考案したオリジナル製品第1号のテーブルタップ「OCB-1」を発売する。そんな中、特にケーブルに拘ったと云われるオーディオ評論家の江川三郎氏が、オヤイデ電気で取り扱っていたリッツ線に着目、「電線によって音が変わる」ということを提起したことをきっかけに、オーディオ専用のケーブル開発が始まった。

そして昭和55年(1980年)に誕生したのがリッツ線を使用した「OR-800」スピーカー・ケーブルである。こうしてオーディオ専用ケーブルの開発に乗り出したオヤイデ電気は、オーディオ専用ケーブルメーカーのフロンティアとしての歩みを始めたのである。

同時代の秋葉原の様子はと云うと、ファミコンの普及に伴い各種コンピュータゲームのソフトを取り扱う店舗が増え、その流れに乗じてゲーム関連商品の専門店が登場すると、音楽ソフト(CD・ビデオなど)の専門店、キャラクターグッズの専門店と、様々な専門店がその裾野を広げていった。

そして徐々に時は流れて1990年代の秋葉原はと云うと、家電量販店の台頭による販売競争の激化により、家電製品の売上が減少それと入れ替わるようにパソコン、及び関連商品の販売店が台頭し、1990年代半ばには大型パソコン専門店が次々とオープンしていった。

こうしたメジャーな企業が進出するも、秋葉原のマニアックな広がりは止むことを知らず、美少女やアニメを題材としたゲームソフトがプレイステーションなどでも発売されるようになり、サブカルチャーが一般にも認知され、幅広い層からの支持を受けるようになる。

そして2000年代、高級オーディオ機器販売店などの専門店の規模が縮小。代わってアニメ、ゲーム、音楽・映像ソフトなどを扱う店舗が増加。さらに駅前にはアダルトグッズの大型店舗がオープンするなど、これまでに輪をかけてなんでもアリの状態に。そんな混沌とした秋葉原において一筋の光をもたらしたのがオヤイデ電気二代目社長、村山智であった。

同氏は停滞するオーディオ業界に一石を投じるべく、これまでオヤイデ電気が培ってきた努力と技術を踏襲しつつ、新製品の開発に乗り出した。電源ケーブルL/i50シリーズ、テーブルタップOCB-1シリーズ、MTシリーズ、そしてTUNAMIシリーズと、数々のヒット商品を立て続けにリリースし、これまで業界に蔓延っていた高かろう良かろうの幻想を一蹴、適正価格で高い性能のオヤイデ電気のブランドイメージを確立した。

加えて音楽業界などからの人材を多数抜擢し、さらに自作系オーディオマニアとしても名高い”オーディオみじんこ”こと荒川敬を加え、組織をより強固で高いスキルを持つ布陣とした。またオヤイデ電気は、従来のオーディオ・マニア向けのプロダクト拡充と同時に、新たにプロフェッショナル・ブランドである「NEO」を立ち上げ、USB・FireWireを始めとし、プロフェッショナルに向けた展開を拡大するなど、常に新しい提案を産み出し、新たな地平へと向かっている。

その地平と並行する秋葉原の街も、大型家電量販店の秋葉原進出がマニアックでディープな秋葉原の牙城を崩すと思いきや、こちらは秋葉原の再開発とともに経済的相乗効果をもたらし、結果、秋葉原の街を活性化させる一因となった。

そんな秋葉原、電車男があり、メイドカフェがあり、それらから派生した"アイドル"の巣窟となり、遂にはAKB48という社会現象の発信地となるなど、常に新しくあり続けている。秋葉原のマニアックな進化は、日本の時代の必然なのである。

この記事はROCK ON PROの発行する「Proceed Magazine」に寄稿した記事を再構成したものです。

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