2022年1月8日土曜日

2022年、オヤイデ電気は創業70周年を迎えます!!

 

オヤイデ電気70年の歩み


戦後復興まもない激動の時代から高度成長期への変遷


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オヤイデ電気(小柳出電気商会)は、戦後復興から間もない激動の時代であった昭和27年(1952年)、東京・秋葉原(旧名・神田花田町)の一坪半ほどのスペースにて小柳出一二(おやいで・かずじ)が創業しました。

現在のビックカメラAKIBAのある中央通りに面した一角で、創業当初はマグネットワイヤーや絶縁材料などの切り売りからスタート。

その後に産業用電線などを広く販売し、少しずつ商売を広げていきました。昭和31年(1956年)に現在のオヤイデ電気秋葉原直営店があるJR高架下に店舗を移転。

そして時は高度成長期を迎え、オヤイデ電気も時勢に応じて家電製品(当時、三種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機など)の販売を開始します。

昭和46年(1971年)には「株式会社小柳出電気商会」を設立。元来のケーブル類に強い業務形態も手伝い、昭和49年(1974年)には家電製品の販売を取りやめ、電線を切り売りする電材販売により特化したケーブル専門店として、現在の卸・小売形態のオヤイデ電気の礎を築いていきます。




電材屋からオーディオ専用のケーブルメーカーへの挑戦


1970年代に入ると、オーディオ評論家や一部のオーディオ・マニアの方達が自作素材としての電線に注目し始めます。その頃、オーディオ評論家の江川三郎氏(故人)がオヤイデ電気へ来店され、小柳出一二の勧めたリッツ線に着目。江川氏が「電線によって音が変わる」ということを提起し、2人の出会いがきっかけとなり、小柳出一二はオーディオ専用ケーブルの開発をスタートしました。

そして、昭和55年(1980年)にリッツ線を使用したオヤイデ電気初のスピーカー・ケーブル「OR-800」が誕生。こうしてオヤイデ電気は、オーディオ専用のケーブルメーカーというフロンティアへの道を歩み始めました。


オヤイデ電気の代名詞となる「OCB-1」の完成


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その後、1980年代に入ると、小柳出一二は電源にも着目し、独自のオーディオ用電源ボックスの開発に乗り出します。

まず4芯スターカッド構造の電源用ケーブルL/i50を開発し、江川三郎氏のアドバイスも受けながら、オヤイデ電気初の電源タップ「OCB-1(オヤイデ・コンセント・ボックス・1号)」を完成させ、昭和60年(1985年)1月から秋葉原直営店で発売。

同機種はオヤイデ電気の中でも特に人気の高い商品の一つとしてシリーズ化され、37年経った現在もなおオヤイデ電気の代名詞として多くのオーディオ・ファイルに愛されることとなります。

このようにして、オヤイデ電気は「ケーブルで音が変わる」という新たな概念を世の中に浸透させることに一役買い、オーディオファイルの間でも着実に認知度を高めていきました。

1990年代に入ると、世の中のオーディオ機器はデジタル化や小型化が急速に進み、いわゆるミニコンポやCDラジカセといった安価で簡便な機器が主流となり、オーディオ業界の市場も縮小傾向を辿ります。

しかし、オヤイデ電気は、従来の産業ケーブルを中心とした電材屋としての背景も強みにしながら、オーディオアクセサリーブランドとしての立ち位置を着々と確立していきます。

そして2000年代、オヤイデ電気は新たなフェーズへと進んでいきます。


オヤイデ・ブランドの確立と発展


創業者である小柳出一二が勇退し、第2期オヤイデ電気が船出します。そして、停滞するオーディオ業界に一石を投じるべく、さらなる新製品の開発へと乗り出します。

これまでオヤイデ電気が培ってきた技術やノウハウを踏襲しながらも、機能性や音が変わるという元々の強みだけではなく、高品質でデザイン性に優れ、価格帯も値ごろで魅力的な製品という新機軸を打ち出します。

そして、L/i50シリーズ、OCB-1シリーズ、MTBシリーズ、TUNAMIシリーズなど、次から次へとヒット商品を生み出していきました。こうして、これまで業界に通底していた「高かろう良かろう」といった幻想を一蹴し、適正価格で高い性能を持つオヤイデ電気というブランドイメージが確立していきました。

その後もオヤイデ電気は発展を続け、従来のオーディオマニア向け製品の更なる拡充と同時に、スタジオでの音楽制作やミュージシャンといったプロフェッショナルユースを見据えた新ブランド「NEO」を立ち上げます。さらには、DJやDTMといった時代の潮流にも敏感に対応する「d+」シリーズも開始。オーディオ層の顧客だけでなく、スタジオユースやDJ、楽器演奏をするミュージシャンなど、より幅広い層にオヤイデ電気の名が知れ渡っていきました。

そして、その流れは国内のみに留まりません。オヤイデ製品は世界50カ国以上に輸出され、世界中のオーディオファイルの間でも「OYAIDE」は最早常識となっています。「NEO/d+」は世界中のトップDJやアーティストの多くが愛用し、現在進行形でその認知度をさらに広げ続けています。

また2014年には、“ 普遍的な材料を世界最高峰の技術と品質で生産する ” というコンセプトを掲げ、オヤイデ電気が自ら思い描いた独創性、革新性、そして熟練のクラフトマンシップを備えた精密導体『102SSC』を独自に開発し三洲電線の協力を得て誕生させました。『102SSC』はその後のオヤイデ製品には欠かすことのできないアイデンティティーと言っても過言ではありません。

秋葉原の一坪半から始まったオヤイデ電気は、その70年という長い歴史の中で“世界のOYAIDE”として認められるまでに成長を遂げました。

そして、2022年、オヤイデ電気は創業70周年という節目を迎えます。


いつまでも愛される「オヤイデ」を目指して


オヤイデ電気は、時代が変わっても愛されるものを作り続けることをモットーに、オヤイデ製品を末長くお使いいただける温かみのある製品作りを目指し、日々努力を重ねてきました。

そうした中で、時代の流れにも敏感に反応し、お客様のニーズに可能な限りお応えしながら、「温故知新」の精神と、「要るものを要るだけをモットーに」という昔から変わらぬ気構えで、これからも秋葉原から世界へ発信し続けます。

ここからさらに10年、20年と続くその先も見据えながら、これまでと変わらず多くの皆様に愛される「オヤイデ」であるために、これからもより良い製品を生み出して参ります。 

 

小柳出電気商会の歴史


1952年10月1日(昭和27年)

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創業当時の小柳出電気商会(右/創業者 小柳出 一二)

秋葉原中央通り、現在のビックカメラAKIBAの場所にて創業者の小柳出 一二が電線小売業を開始

当初はモータトランス用マグネットワイヤー及び、 絶縁材料を扱う


1956年(昭和31年)

現在の総武線高架下に売店を移転

時勢に応じて家電製品販売を始め、電線業は外神田3丁目に移転


1966年(昭和41年)

外神田3丁目本社ビル完成


1971年4月(昭和46年)

株式会社の設立


1974年(昭和49年)

家電販売店をやめ、「要るものを要るだけをモットーに」電線の卸・小売業専門とする


1980年4月(昭和55年)

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昭和56年10月のオヤイデ電気 秋葉原の店舗

現在のオーディオアクセサリーの基盤となる、オリジナルのオーディオ用スピーカーケーブルを初めて発売

「電線で音が変わる」という新たな可能性を広げる試みでした



1989年1月(平成元年)

文京区湯島1丁目に本社を移転、新社屋完成


2002年5月(平成14年)

オンラインショップスタート


2004年(平成16年)

アメリカ・アジア諸国への「オヤイデ製品」の出荷開始


2008年(平成20年)

プロオーディオ向けブランド「NEO」製品の生産、販売開始


2014年6月(平成26年)

自社開発による精密導体「102 SSC」を発表


現在は「電線の品揃えは日本一」との声も多く、専門店として成長し続けています

昨今はオリジナルのオーディオ用ケーブル・アクセサリーが海外でも高い評価を受けております。


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現在のオヤイデ電気 秋葉原の店舗

 

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